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2020年07月03日
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日本の金箔は、ほぼ全てが金沢で生産されています

金沢には「箔打ち」の仕事に携わっている家や人が多くいます。幼い頃、母親や叔母達が、自宅で、写真のように細い竹箸で、ふわふわの薄い金箔を、すくっては紙に挟んでを何枚もしていたのを、記憶しています。何度も箔を薄く伸ばし広げる為、剥ぐっては、挟み、叩く、工程の一つと思います。

豊臣秀吉の時代から、受け継がれてきた金沢箔の技術は量・質共に高く、お城から神社・仏閣、仏壇・仏具、水引き、そして、今日の建築やインテリア、工芸品・食品・化粧品に至るまで、多くの人に好まれています。

黄金好きの豊臣秀吉に命じられ、金沢の箔作りが始まりました

加賀藩主、前田利家が金箔好きの豊臣秀吉より、加賀・能登での金箔製造を命じられたのが始まりとされています。大河ドラマ等でもお馴染のお城の天守閣や黄金の部屋、調度品等にも多くの金箔が使われているのを見たことがあります。伏見城近くの、加賀藩主、前田利家や多くの大名の屋敷跡からも、金箔瓦等が多く出土しているそうです。

しかし、江戸幕府は「箔打ち禁止令」により、金箔は江戸と京都以外を禁じていました。その後、金沢城が焼失した時、再興に大量の金箔が必要となり、京より多数の金箔職人が金沢に集まり、技術が蓄積され、漸く、「江戸箔売りさばき」の公式許可を得ることができたことと、明治維新による江戸幕府の崩壊により、金沢の金箔作りは量・質ともに、今日迄、各段の発展を遂げてきました。

金沢は、「金箔の街」だから、金沢という地名になったわけではありません

金沢の名称は、「芋掘り藤五郎」の伝説にある「金洗いの沢」が由来とされています。金沢市南部の山科地区に住んでいた藤五郎が、砂金が多く発掘された山で芋掘りをして、金を含んだ芋の土を洗い流していた沢に沢山の金が溜まり、その金で村人達を裕福にし、豊な村を作ったという伝説から「金が湧き出る沢」=「金沢」という地名になったそうです。

不思議なことに、豊臣秀吉の命により金箔の技術を京より受け継ぎ高めたことで、一層、金沢が金箔の街として根着いたということです。又、第1次世界大戦でヨーロッパ最大の箔の製造産地のドイツが壊滅的な打撃を受けたことが、金沢の箔が飛躍的産業となったきっかけとも言われています。

今日では、その技術は、当然、高価な品から、日常的な暮らしの中に迄溶け込んでいます。金沢の地名と、金箔に肖り光輝きたいものです。

この記事を書いた人
中町秀豊です ナカマチヒデトヨ
中町秀豊です
「なかまち不動産」の中町秀豊です。約30年、大手建設・不動産活用専門会社の支店長として全国各地を転勤し、不動産活用を通じ多くの不動産オーナーとご家族の皆様と出会い、様々な建設・不動産取引の経験を積むことができました。これからの人生も、不動産オーナーとご家族の皆様其々のお悩みやご要望にお応えし、不動産で「笑顔のある豊かな人生=リッチライフ」を創造できれば幸せです。真摯に一生懸命が信条です。どうぞ宜しくお願いいたします。
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